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阅读 |「三岛由纪夫 -《潮騒》」

2019年6月7日


根据年谱,三岛由纪夫在昭和二十八年(1953年)的时候曾两次去往三重县的神岛旅行,而《潮騒》里面的歌岛正是以神岛为蓝本写出来的。据Google地图显示,岛上也确实有如同在小说里出现的八代神社。

看地图的话,可知神岛只是伊势湾上一个小小的岛屿,可谓茫茫海洋上的一小点,可就是这么一个小岛,岛上的人们如何营生,如何生活,如何许愿和让愿望达成,这些也构成了这部小说的主要内容。

或许正是由于小岛的遥远,加上年代使然,小说所呈现的事件与人物都有一种脱离凡世的善良之感,纵有一些不当之事或恶意,可最终还是以温和又合乎情理的方式赋予了跳跃,读来让人心驰神往,也让人沉浸其中。

新治与初江朦胧、青春又纯真的爱恋;作为海女角色而存在的岛上的女人,无论老幼,都各自有自己的勤劳、坚持和不失人前的勇气;以渔业营生的岛上的男性更是男子独有的气力的一种呈现。如此这般的生动描绘,让人仿佛坐在一条船上,游荡岛小岛的边缘,看着岛上的人如何度过每一天,如何喜怒哀乐。趣味盎然。不知道,此时此刻,岛上的人是否还过着这样纯美的生活呢。



在此记录书中一些让我印象深刻的句子。

めったに笑わない人だったが、いつも平静で、漁の指図のために上げる大声も、怒りのためには上げることがなかった。

世界が今まで考えもしなかった大きなひろがりを以て、そのかなたから迫って来る。この未知の世界の印象は遠雷のように、遠く轟いて来てまた消え去った。

自分にわからないものの存在はかの誇りを傷つけ、怒りは彼の頰を尚のこと真赤にした。

「神様、どうか海が平穏で、漁獲はゆたかに、村はますます栄えてゆきますように!わたくしはまだ少年ですが、いつか一人前の漁師になって、海のこと、魚のこと、舟のこと、天候のこと、何事を熟知し何事も熟達した優れた者になれますように!やさしい母と幼い弟の上を護ってくださいますように!海女の季節には、海の中の母の体を、どうかさまざまな危険からお護りくださいますように!……それから筋ちがいのお願いのようですが、いつかわたくしのような者にも、気立てのよい、美しい花嫁が授かりますように!」

自分に初江の心を惹くに足るものが何一つありそうなものことが気にかかった。麻疹のほかに末だかつて病気を知らないその健康も、歌島を五週することさえできる泳ぎの技倆も、誰にも負けない自信のある腕の力も、初江の心を惹きそうには思われなかった。

若者は大きな無骨な手で、札を丁寧に指を舐めて数え。

新治は日々の生活に、別に音楽を必要としなかったが、自然がそのまま音楽の必要を充していたからに相違ない。

孤独が、彼から、人間の悪意を信じたりする氣持をすっかりなくしてしまった。

どこを航海していても島のことを忘れず、島の景色が日本で一番美えように、また、島の暮らしはどこよりも平和で、どこよりも仕合せになることに、力を会わせるつもりでいるんや。

しかしこれほど世の常の顔立ちを、そんなに美しくないと考え込むのは、ひどく美人だと思い込むのと同じくらいに、僭越なことだったかもしれない。

若者の心には想像力が欠けていたので、不安にしろ、喜びにしろ、想像の力でそれを拡大し煩雑にして憂鬱な暇つぶしに役立てる術を知らなかった。

海だけが彼の無言の対話に答えてくれるような気がしたのである。

生まれた時から漁村の女の裸は見馴れていたが、愛する者の裸を見るのははじめただった。そして裸であるというだけの理由で、初江と自分との間に防げが生じ、平常の挨拶や親しみのある接近がむつかしくなることは解せなかった。

頭がいいということは、つまり、母親を氣持よく泣かすことができるということなのである。

こんな時計をもっているだけで安夫は十分女にもてる資格があるような気がした。

「征服された」女の告白というやつが好きで仕方がない。言うに言えない苦悩を与えてやるということはすばらしい。

怒りのあまりやみくもに掴もうとして、彼が踊るような恰好をしているうちに初江は石段のほうへ逃げ出した。望天觀気のおどろくべき正確さ、漁撈と航海に関する無比の経験、村の歴史と伝統についての高い自負とは、しばしば人を容れない頑なさや、滑稽なえらがりや、年をとっても衰えない喧嘩つ早さなどで差引かれたが、とにかくこの老人は生きているうちから、万事銅像のように振舞っておかしくなかった。

悲しくて悲しくてたまりません。

心を強く生きて行きましょうね。

新治にも都会育ちの初恋の少年のような傷つきやすい神経はなかった。成人の哄笑は、彼をけっして傷つけず、むしろ宥め、温めた。舟を押しているなだらかな波は彼の心を落着け、何もかも言ってしまって安らかになると、この労働の場所が彼のかけがえのない安息の場所になった。

魚を釣るには辛抱せないかん。今にきっとよくなる。正しいものが、黙っていても必定勝つのや。

すると彼の寛恕をねがった気持ちが、実は彼のやさしさに触れたいと思う久しぶい希望の、仮面をかぶったものにすぎないことがわかるのであった。

黙りがちなころは今も昔も同じだが、黙っていても顔にあふれている若者らしい快活さは消えてしまった。

彼女もまた息子と同じように、ものを考えるときに海に相談にゆくのである。

「あほな蝶や。よそへ行こと思たら、連絡船にと舞って行けば楽に行けるんおに」

あれは「未知」であった。未知を遠くに見ていたあいだ、彼の心には平和があったが、一度未知に乗組んで出帆すると、不安と絶望と混乱と悲歎とが、相携えて押し寄せて来たのである。

それを見る若い娘は、自分だけは決してああはなれまいと思うのだが、やがて何年形、いつのまにかその陽気で練達な海女たちの一人に、数えられている自分を発見しておどろくのであった。

彼女の乳房は、愛の飢渇も生活の苦労も知らないかのように、夏のあいだというものたえず太陽のほうへ顔を向けて、尽きせぬ力を太陽から直に獲ていたのである。

そのとき、この島に生れこの島に育って、何ものよりも島を愛して来た若者が、今は島を離れたいと切に思っている自分に気ついた。

俺は自由になる、と彼は心に叫んだ。こんな奇妙な種類の自由なもあることを、はじめて知った。

黙って膝を抱いて、にこにこしながら皆の意見をきいているだけである。

「男は気力や。気力があればええのや。この歌島の男はそれでなかいかん。家柄や財産は二の次や。

二人はお互いの頰を、触れようと思えばすぐ触れることもできる近くに感じた。その燃えている熱さをも。

つまり闇に包まれているこの小さな島が、かれらの幸福を守り、彼らの恋を成就させてくれたということを。

少女の目には矜りがうかんだ。自分の写真が新治を守ったと考えたのである。しかしそのとき若者は眉を聳びやかした。彼はあの冒険を切り抜けたのが自分の力であることを知っていた。


另外,很难得地在这本小说里看到表达“谢谢”的「おおきに」,我总觉得这个「おおきに」有一种婉约迷人的声响。曾经在京都的一间小店,听到过店主在收钱后跟我说「おおきに」,至今那种触动还忘不了。太有魔力了。