赏《古今和歌集》—— 第六篇
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春歌−91
藤原よしかぜ「春風は花のあたりをよきて吹け心づからやうつろふと見む」
(春風は花のあたりを避けて吹きなさい。桜が自分の意志で散り方に向かうのかどうかと見定めようと思うので。)
(拜托春风绕开花的四周。我想看清樱花会否根据自己的意志决定往哪里飘落。)
——赋予樱花自由意志,这种想法还是挺超前的。
秋歌ー290
よみ人知らず「吹く風の色の千種に見えつるは秋の木の葉の散ればなりけり」
(吹く風の色がさまざまな色に見えたのは、さまざまな色の秋の木の葉が風に乗って散るからなのであるよ。)
(风吹的颜色看起来缤纷多彩,那是因为千种色彩的秋叶随风落下。)
——很有美感的一首和歌。秋叶看起来或许都是偏暗的,可细细看,它们也有各自的色彩,枯黄色的,褐色的,红棕色的,墨绿色的……
恋歌ー586
ただみね「秋風にかきなす琴の声にさへはかなく人のこひしかるらむ」
(秋風の中にかき鳴らす琴の声にまで、どうしてこのように空しいと知りつつ、あの人が恋しく思われるのだろうか。)
(为何连在秋风中响起的琴音,都让人感觉如此徒然无靠,可还是对那个人思念绵绵呢。
——秋天的琴音,真是萧瑟又空灵的。
恋歌ー602
ただみね「月影にわが身をかふるものならばつれなき人もあはれとや見む」
(月の光に我が身を変えることが出来るものであるならば、あのつれない人も「あはれだ」と私を見てくれるであろうか。)
(倘若月光能让我变身的话,那个冷淡的人看见我也会觉得「あはれ」吧。)
——这首和歌很新鲜,若是站在女方的立场咏歌的话,更让人觉得可爱感满满。当「我」变得不一样后,别人待我也会不一样吧。一种浅浅的期待。
到此,我记录的三首有「あはれ」的和歌都各有各的美感。果然,它有它独特的魅力,让人怎么喜欢都不够。关于「あはれ」,可参考——文 |「私读《枕草子》—— あはれ的万般情怀(一二三)」
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今天台风过境,久违地带来一丝清凉。台风总是携雨而来,时而松弛,时而强劲。它从海上而来,早已吸满了海与风的能量,它在它的所到之处掀起风,掀起雨,都不过是把它吞进去的能量再毫无情分地吐出来吧。
因为台风,所以上述和歌有三首都与「风」有关。
注:文章里的和歌与日文译文皆出自「《古今和歌集》片桐洋一 訳・註」。
