村上春树-《村上さんのところ》

翻译|「《村上さんのところ》- 突然思考关于世界的危险性」

2017年6月17日

世界の危うさについてふと考えるとき
突然思考关于世界的危险性

質問:

春樹さんのエッセイに「逃げ道が多い世の中ほどいい世の中だ」というのがありましたが、私は仕事上とても実感する名言だと思い、座右の銘にしています。

私は橋梁の設計者なのですが、永代橋や清洲橋は関東大震災時の復興橋梁ですから、供用されて90年ほど経ちます。あの頃には現在の様なモータリゼーションは無かったので、もっともっと小型の橋であってようかった筈です。しかし、戦争も絡んで戦車が通れる設計としていたため、設計加重の余裕が大きく、現在のxxでもへっちゃらで、いまや東京のシンボルのひとつですよね。ところが最近造られた橋は、直ぐ傷むし通行不能のものもとても増えてます。

このことを考えても、現在の「最適解」をひたすらに求める風潮は、人ばかりでなくいろいろなことが疲弊していくばかりだと思うのです。そこでとうでしょう、我らが春樹さん。「地方創生大臣」ならぬ「逃げ道創生大臣」になってみては。みんなとっても喜んで少しはギスギスした世の中も和むと思うんですけど。

在春树先生的随笔里写过「有很多退路的时代是好的时代」,我觉得它在工作上是非常具有真实感觉的名言,于是用来作座右铭了。

我是桥梁的设计者,因为永代桥和清州桥是关东大地震的复兴桥梁,已经提供使用将近90年。因为那时候没有现在各种各样的机动化,所以越小型的桥梁越好。但是,因为卷入战争而作为让战车能通过的设计,所以设计加重的宽裕度也变大,现在的交通堵塞也不算什么,如今还是东京的一个象征。但是,最近建造的桥梁,马上损坏,不能通行的增加了很多。

即便思考这件事情,不过现在的一味追求「最适宜的解决」的风潮,不仅仅是人,很多事情都变得疲乏无力。要怎么做呢,我们是春树先生。不能成为「地方创生大臣」就成为「退路创生大臣」。我觉得人们的极致高兴能稍微让这个冷漠的世界温和下来。

回答:

僕がアメリカに住んでいるときに、どこかで大きな橋が何の予告もなしに突然崩れ落ちるという事故があり、多くの死傷者が出ました。そのときに調査したら、同じようなことが起こりうる橋梁がアメリカ全土にたくさんあることが判明したということでした。怖いですね。トンネルとか橋とかって、普段僕らはぜんぜん気にしないで使っているんだけど、いったんそういうことを考え始めると、僕らの人生というのはとても危ういものの上に作られているのだなとつくづく実感します。

ソーントン・ワイルダーというアメリカの作家が「サン・ルイ・レイの橋」という小説を書きました。1714年、ペルーの街である日突然、橋が崩れ落ち、そこを歩いていた五人の人が死んでしまいます。一人の神父が、そのときその橋をその五人がどうして歩いていたのかを調べていきます。「なぜあの五人の人にだけ災難が降りかかったのだろう」という根源的な疑問を抱いたからです。僕は「アンダーグラウンド」という本を書いていたとき、よくこの小説のことを思い出しました。世界の危うさについてふと考えてしまう、というか。

丈夫な橋を作ってくださいね。

我在美国居住的时候,在某个地方有一座很大的桥毫无预告地突然倒塌的事故,造成很多死伤者。如果在那个时候调查,就能弄清楚在美国全国有很多会有可能出现同类型事故的桥梁。恐怖吧。隧道啊桥梁啊,虽然平常我们是毫不注意地使用,但是一旦开始思考这种事情,就能真实感受到我们的人生是建立在非常危险的东西上面的。

美国作家桑顿·魏尔德写过「圣路易·莱之桥」这本小说。1714年,秘鲁的街道某一天,桥崩塌了,在上面走着路的五个人死了。一位神父去调查为什么那个时候那五个人会走在那座桥上。因为抱着「为什么仅仅是那五个人遭遇灾难」这种根源性的疑问。我在写「地下铁」这本书的时候,经常想起这本小说。突然思考关于世界的危险性,或者说。

请制造稳固的桥梁。