村上春树-《村上さんのところ》

翻译 |《村上さんのところ》- 小说的作用

2017年4月20日

说到读小说能掌握识破谎言的能力,挺新颖的啊。


つまらない文学よりビジネス書を読め!
比起无聊的文学去读商业书吧!

質問:

先日、仕事場の休憩中に村上さんの小説を読んでいたら、そこに顔を出した社長に「つまらない文学を吸収する暇があったらビジネス書を読め!」と叱責されました。
この社長は3年前に親会社から出向で単身赴任で子会社の社長になった一言で言うと「エリート」なのです。
そうも言いながらも毛嫌いせずに月に一度はプライベートで酒を酌み交わす程度の仲は築いてあるので、率直に「社長は村上春樹の小説を読んだ事はあるのですか?」と聞いたところ「国内の純文学などには興味は無い」と言い出す始末。
私もビジネス書も年間50冊以上は読みますし、同じ位の小説やエッセイを読みます。
趣味嗜好は音楽においてもありますから、そう否定はしないものの、この堅物発言には腹が立ったので「無駄(エンターテイメント)な知識も人生においてはウイスキーのような嗜好品」として必要だと反論すると「酒は最終的には全部流れる」などとまるで文学に出てきそうな台詞で反論するこの社長。
文学作家の方からして、いかがなものでしょうか?

前几天,在工作场所休息的时候阅读村上先生的小说,然后被看到的社长叱责说「有空闲吸收无聊的文学还不如读商业书!」

这位社长是3年前从母公司调任出来一个人去子公司担任社长的,一句话说就是「精英」。

话虽如此并不感到厌恶,我们维持着一个月一次私底下喝酒畅谈那种程度的关系,曾直白地去问他「社长有读过村上春树的小说吗?」的时候,结果他说「对国内的纯文学没有兴趣」。

我在一年里也读50本上的商业书,并且读同样数量的小说和随笔。

因为在音乐上也有兴趣嗜好,虽然对此并不否定,不过对这种耿直发言还是恼火,于是反驳道「无用的(娱乐)知识在人生中也是如威士忌一样的嗜好品」那样必要,社长却用类似于从文学里出来的台词反驳说「酒终究全部流走」。

从文学作家的角度来看,这是怎么一回事呢?

回答:

そうですか。たしかに文学ってあまり実際的な役には立ちません。即効性はありません。実におたくの社長のおっしゃるとおります。言うなれば、なくてもかまわないものです。そして実際にこの世界には、小説なんて読まないという人がたくさんいます。というか、むしろそういう人の数の方がずっと多いかもしれません。

でも僕は思うんですが、小説の優れた点は、読んでいるうちに、「嘘を検証する能力」が身についてくることです。小説というのはもともとが嘘の集積みたいなものですから、長いあいだ小説を読んでいると、何が実のない嘘で、何が実のある嘘であるかを見分ける能力が自然に身についてきます。これはなかなか役に立ちます。実のある嘘には、目に見える真実以上の真実が含まれていますから。

ビジネス書だって、いい加減な本はいっぱいありますよね。

適当なセオリーを都合よく並べただけで、必要な実証がされていないようなビジネス書。小説を読み慣れている人は、そのような調子の良い、底の浅い嘘を直感に見抜くことができます。そして眉につばをつけます。それができない人は、生煮えのセオリーをそのまま真に受けて、往々にして痛い目にあうことになります。そういうことってはよくありますよね。

(結論)

小説はすぐには役には立たないけど、長いあいだにじわじわ役に立ってくる。

是吗。确实文学是没有任何实际的作用。也不是立即见效。诚如你的社长所说的一样。说起来就是,没有了也没关系。还有实际上在这个世界上,不读小说的大有人在。或者,不如说这种人的数量一直都是很多的。

但是我认为,小说优秀的地方在于,在阅读的过程中,逐渐掌握「检验谎言的能力」。因为小说原本就像是谎言的集积一样,长时间阅读小说,什么是没有事实的谎言,什么是有事实的谎言,自然地就掌握分辨的能力。这是相当有作用的。因为具有事实的谎言,包含了眼睛所能目及的真实以上的真实。

商业书的话,有很多不切实际的书。

仅仅是贪图方便把适当的理论罗列出来,如此缺乏必要实证的商业书。习惯读小说的人, 就能凭直觉识破这种和谐的,浅薄的谎言。于是提高警惕。做不到这种事的人,就只是把模棱两可的理论当真,往往会倒霉。这种事情还是经常发生啊。

(结论)

虽然小说不会立马发生作用,但长期以往就能慢慢发生作用。