日文翻译 村上春树-《村上朝日堂》

翻译 《村上朝日堂》-「1984年的村上春树01」

2018年1月17日

前几天,想看一点轻松的东西,突然想起去年买了好几本村上春树的随笔集,一直没有机会看,于是我把这本封面插图非常有趣的《村上朝日堂》拿出来看,结果一发不可收拾。到今天,刚好看完了。
容我多说一点。这本随笔集在1984年出版,是村上春树在某个专栏里连载了一年九个月的随笔的合集。算一下时间,那就是村上春树三十五岁以前写的文章。更有趣的是,这里的随笔市井气非常浓烈,基本上就是在写他在日常生活时的所思所感,有很多让人忍俊不禁的地方。一方面可以看到村上春树在生活中的样子,另一方面也可以通过他写的东西去想象80年代的日本是怎样的一种状态。
整本书给我一种“啊,随笔也可以这样写的啊”的感觉,非常有趣,而且还有安西水丸给每一篇文章画的插图,也非常有感。
相比于现在深居简出,且长住在美国的村上春树来说,这本随笔里的村上春树就显得特别平易近人。或许他骨子里就是这样的,只是外人不常见而已。
在这里,我把自己喜欢的一些话记录并且翻译下来。内容有点多,暂且每次更新十条吧。

日文内容选自「村上朝日堂」

1)关于闲逛

とにかく都会にはわけのわからない人が多くて、そんな人々が昼間からぶらぶらしている。

总之城市有很多无法理解的人,这些人从白天开始就无所事事地闲逛。
(村上春树说他是早上工作,中午就会在外面漫无目的的闲逛,奇怪的是他也看到很多跟他一样闲逛的人。)

2)关于在别的星球上生活

もし僕がこの星に生まれるとしたら、やはり夏のはじめがいい。少年期を暑い太陽の下で走り回って過ごし、思春期・青年期を秋でしっとりと過ごし、壮・中年期を苛酷な寒さとともに送り、春来て老人になる、というパターンである。
やはり死ぬ時は夏、という感じで年を取りたい。

如果我在这个星球上出生的话,最好是以夏天作为开始。少年时代在酷热的阳光下跑来跑去度过,思春期·青年期在秋天里滋润着度过,壮·中年期伴随着严酷的寒冷度过,春天一来就变成老人,这种模式。
果然还是想死的时候是夏天,以这种感觉变老。

3)关于文章的写作方法

文章を書くコツは文章を書かないことであるーーといってもわかりにくいだろうけど、要するに「書くすぎない」ということだ。
まず「何を書くか」という内容が必要だし、「どんな風に書くか」というスタイルが必要である。
だからどこかから既成の内容やスタイルを借りてきて、適当にしのいでいくことになる。
ひととおりそういうことをやってみて、「なんだ、これなら別に文章なんてわざわざ書く必要もないや」と思えばそれは最高にハッピーだし、「それでもまだ書きたい」と思えばーー上手い下手は別にしてーー自分自身のきちんとした文章が書ける。

写文章的技巧是不写文章——哪怕这样说也估计很难懂吧,总而言之是「别写太多」。
首先「写什么呢」这个内容是必要的,还有「以怎样的风格写」这种文体也是必要的。
大体上试着做这种事,要是想着「什么?这种东西根本没有必要特意写成文章」的话这是至上的快乐,要是想着「即便如此还是想写」的话——别管写得好写得不好——自己本身就能规规矩矩地写文章。

4)关于写稿

僕は原稿料の入ってこない原稿は絶対に書かない。すごく生意気に聞こえるかもしれないけれど、プロとしては当然のことである。

我对于没有稿费的稿子是绝对不会写的。这可能听起来很自大,但是对于专业的人来说是理所当然的。

5)关于搬家

ヒットラーは犬が好きだったけど、犬好きな人がみんなヒットラー的な要素を持っているとはいえないじゃない。
僕はすごく引越しが好きである。荷物をまとめて街から街へと家から家へと移り歩いていると、本当に幸せな気持ちになってくる。
引越しの良いところは、何もかもを「ちゃら」にできることである。近所つきあい、人間関係、その他もろもろの非常生活の雑事、そういうのが全部一瞬にしてパッと消滅してしまうのである。
転校生というのに僕は昔からすごく憧れていた。
その子がいなくなっちゃうと、その席だけがしばらくぽつんと空いていたりしてね。そういうのがもう病気になっちゃうくらい変質的に好きだった。
そしてその充たされなかった少年時代のフラストレーションが十八歳を過ぎてから「引越し病」という宿命的な形をとって僕の上に襲いかかってくるのである。

虽然希特勒喜欢狗,但不能说喜欢狗的人都具备希特勒性的因素。
(他用这句话来解释自己只是单纯喜欢搬家而已。)
我非常喜欢搬家。把行李整理起来然后从一条街到一条街和从一个家到一个家转着走,真的会变得幸福的。
搬家的好处在于,一切东西都可以被抵消。邻居认识的人,人际关系,其他杂七杂八的生活杂事,全部可以在一瞬间“啪”地消灭掉。
我从以前开始就非常羡慕转校生。
这个人离开以后,这个座位就孤零零地空出来了耶。这种已经演变成了类似于病一样的变态般的喜欢。
于是这个未被满足的少年时代的沮丧在过了十八岁以后以「搬家病」这种宿命性的形式向我侵袭而来。

6)关于爵士喫茶店

自分の手で材料を選んで、自分の手でものを作って、自分の手でそれを客に提供できる仕事のことだ。でも結局僕にできることといえばジャズ喫茶くらいのもだった。とにかくジャズが好きだったし、ジャズに少しでもかかわる仕事をやりたかった。
抜け道の数が多ければ多いほどその社会は良い社会であると僕は思っている。

亲手挑选材料,亲手制作东西,亲手向顾客提供这个东西的工作。但是最终我能做的事情也只有爵士喫茶店而已。总之我喜欢爵士,所以也想做稍微与爵士相关的工作。
我认为有越多退路的社会才是好的社会。

7)关于坐电车

銀座線の列車は駅に到着する直前に一秒か二秒電灯が消えて、車内が真っ暗になる。
でもその時僕はいちばんびっくりしたことは、他の乘客が毛ほども驚いたり、怯えたり、動揺したりしていないということだった。
東京の人ってタフでクールなんんだなあ、とつくづく感心した。

银座线的列车在到站前的一秒或两秒会熄灭电灯,然后车内一片黑暗。
但是那个时候最让我惊讶的是,其他的乘客连丝毫惊讶,害怕,动摇都没有。
东京的人真是顽强和冷静啊,衷心佩服。

8)关于电车车票

切符というのは失くさない人は失くさないし、失くす人は永遠に失くしつづけるのである。
今はもう「そんなに失くなりたいんなら、いつでも好きに失くなっちゃいなさい」という無我・無心の境地で電車に乗っている。どんなに苦労したって切符は必ず失くなってしまうんだから、苦労するだけ無駄とうものだ。

对于不会丢失车票的人来说就不会丢失,对于会丢失的人来说就会永远持续地丢失。
现在已经到了「既然这么想丢失,那么就自己喜欢想什么时候丢失就什么时候丢失」以这种无我·无心的境地去坐电车。因为无论怎样辛劳都肯定会丢失车票的,那么辛劳也是白费的。
(电车车票真的很小的,若说每根手指有三节,那么电车车票的长度就是手指的两节那样的长度。村上春树说他最后想了一个办法,那就是把车票折几折,然后塞到耳朵了。我纳闷的是,被折过的车票还能过机吗?)

9)关于情人节

ある時から突然僕の人生は正常な軌道をずれてしまって、僕は聖バレンタイン・デーの夕方に切り干し大根と厚あげの煮物を作るような人間になってしまったのだ。こんなことしていると今に「黄昏」のヘンリー・フォンだみたいな老人になってしまいそうで、自分でも怖い。いやだいやだ。

从某个时候开始突然间我的人生偏离了正常的轨道,我变成了在情人节的傍晚做干萝卜丝和厚切煮物的人。做这种事情的话,现在就要变成像ヘンリー・フォン一样的老人,自己也很害怕。讨厌讨厌。
(村上春树说情人节那天没有收到巧克力,而妻子也是一边吃着他做的东西一边反问“哦,今天是情人节啊”这样。估计有点“受伤”吧。过后,他在后记里写,这篇文章发布以后,就有女编辑给他送巧克力了。)

10)生日

年とってくるとこんな風に同じ誕生日の人がごそごそと集まって「お互い良いことありませんねえ」などと言いながら飲み食いするのが最も妥当な誕生日の過ごし方ではないかという気がする。

了年纪后就要把这种样子的相同生日的人嘎吱嘎吱地聚集起来,一边说着「大家都没什么好事情发生呢」一边吃吃喝喝喝,感觉这才是最妥当的过生日的方式。