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文 |「坠入到四季的梦里」

2025年7月12日

赏《古今和歌集》—— 第三篇

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春歌ー49

つらゆき「今年より春知りそむる桜花散るといふことはならはざらなむ」

(今年から春を知るようになった新しい桜の花よ、散るという桜花の習性にはどうか習熟しないでほしい)
(今年开始才认识春天的新栽樱花哟,希望你不要习得樱花纷纷舞落的习性。)

——以物拟人,总是让人觉得亲切的。这里可看到一颗惜花怜花之心。

夏歌ー147

よみ人しらず「時鳥汝が鳴く里のあまにあればなほうとまれぬ思ふものから」

(ほととぎすよ。お前の鳴く里が多くあるものだから、やはりうとましい気持ちになるよ。愛してはいるだけれど。)
(杜鹃哟。你到的地方实在太多了,真的令人讨厌。尽管我还是爱你的。)

——这句和歌被引用在《伊势物语》第四十三段,文中把杜鹃比作男方。

秋歌ー186

よみ人しらず「わがために来る秋にしもあらなくに虫の音きけばまづ悲しき」

(私を悲しませるためにだけ来る秋というわけでもないのに、虫の音を聞くと、他の人よりも先に悲しい気持ちになるよ。)
(明明秋天不是特地为了让我感伤而来的,可听到虫鸣声后,自己却比别人都先变得悲伤起来了。)

——这句和歌很直白,但我挺喜欢的。

冬歌ー323

紀貫之「雪降れば冬ごもりせる草も木も春に知られぬ花ぞ咲きける」

(雪が降ったので、冬ごもりして咲かないはずの草や木にも、春とはかかわりのない雪の花が咲き出したことであるよ。)
(下雪了,连冬眠起来不该绽放的花草,都开出了和春天毫无关系的雪花。)

——纪贯之(きのつらゆき)是《古今集》的编者之一,他与49和475的「つらゆき」是同一个人。这首和歌有趣的地方在于——冬天花草不开花,偏偏会开出雪花,意境很美。

恋歌ー475

つらゆき「世の中はかくこそ有りけれ吹く風の目に見ぬ人もこひしかりけり」

(世の中というものは、えてして、このようなものであるのだなあ。吹く風のように姿が見えぬあなたでも恋しいのだよ。)
(世间的事,往往都是这样的。你像风一样,我认不出样子,可我还是爱着你。)

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没有特别的格式,只是每天想的东西都不一样。本想着不如每次都春夏秋冬各一首歌,可我发现「夏歌」不多,无法按季节平均下来。尽管夏日炎炎,可我不会等到秋冬才写「秋歌」、「冬歌」,还是顺其自然地,读到什么,想写什么就写什么。

就这样坠入到四季的梦里,忘了时分。


注:文章里的和歌与日文译文皆出自「《古今和歌集》片桐洋一 訳・註」。