村上春树-《村上さんのところ》

翻译|《村上さんのところ》- 亲身感受

2017年7月8日

物語がすーっと沁み込んでくる
故事毫无妨碍地打动我

質問:

がはじめてハルキさんの本に出会ったのは高校生の時でしたが、そのときは残念ながらすれ違い、ハルキさんの再会は社会人になってからでした。私はハルキさんの虜になりました。その頃、入社3年目でしたが仕事にやいがいを感じることができず、このままで私の人生はいいのだろうかと真剣に悩んで時期でした。そんな時、やり場のない私の心にハルキさんの物語がすーっと沁み込んできました。通勤の電車の中、仕事の移動途中、ずっとハルキさんの本を携え、かたっぱしから読み耽りました。物語の世界に没頭し、ある意味逃避行していた日日を思い出します。心が弱っていたときに、物語の世界に触れ、その世界に埋もれることで私の心は救われました。

友人に「村上春樹」ってよくわからないとか言われることがありますが、私にとってはわかるとか、どういう意味かとか考えて読んでいるのではなく、うまく説明できないのですが自分の中に入ってくる、沁み込んでくるような感じなのです。

同時代に生きて、リアルタイムで本を手にできることに喜びを感じています。

できれば、一度でいいのでお目にかかって、感謝の気持ちを直接お伝えしたいのですが、

日本ではサイン会は開催されないとのこと、残念です。。。

我最初遇见春树先生的书是在高中的时候,不过那个时候遗憾的是错过了,与春树先生的再会是在我成为社会人之后。我被春树先生俘虏了。那个时候,虽然是进入公司的第三年,可丝毫感觉不到工作的价值,就这样下去我的人生还好吗,正是处于认真烦恼的时期。那个时候,不知所措的我的内心被春树先生的故事毫无妨碍地打动了。在通勤的电车上,在工作移动的途中,总是携带着春树先生的书,从一点点开始埋头阅读。想起了那些沉浸在故事的世界里,某种意义上是逃避行为的日子。内心脆弱的时候,触摸故事的世界,隐藏在那个世界里,给我的内心予以救赎。

虽然朋友经常说不了解「村上春树」,但是对于我来说,不是因为了解或者考虑是什么意义而阅读,尽管无法很好地说明白,不过就是进入自己的内心,打动自己的感觉。

感觉与您生于同一个时代,实时地拿到书非常高兴。

若是可以,与您见一次面多好,想直接地表达感谢的心情,但是在日本没有开签售会,挺遗憾的。

回答:

そうですね。小説って、音楽とか絵とかと同じことだと僕は思うんです。大事なのは、わかったとかわからないとかじゃなくて、それが身体に沁みるかどうかということなんじゃないかなと。

「うん、よくわかった」と思って、読み終えて一週間たったらみんなすっかり忘れていた、というんは意味ないですよね。

わかったわからないか、それもよくわからないけど、十年たってもなんかよく覚えている、というような小説を僕としては書きたいです。

この前も同じようなことを書いたんですが、心が弱っているとき、あるいは落ち込んでいるとき、僕の小説を「避難所にして充電場所」として使っていただけると、僕としてはとても嬉しいです。それも小説というものの大事な役目ですから。逃げ込むだけでは足りないんですよね。そこからエネルギーを受け取る必要があります。

それに比べたら、サインなんてただの紙の汚れみたいなものだと僕は思うんですが、そうでもないのかな?

这样啊。我觉得小说,与音乐或者绘画是一样的。重要的,不是了解或者不了解,而是能不能亲身感受。

想着「恩,很了解」,然后读完一个星期后大家都忘记了,这样就没意义了。

了解不了解,或者说虽然不了解,但即便十年过去还仍然记得,我想写这样的小说。

在前面也写过类似的东西,内心脆弱的时候,或者说失落的时候,能把我的小说作为「避难所充电场所」来使用,我是非常高兴的。因为那也是小说这东西最重要的作用。仅仅只是逃避是不够的。有必要从那里获取能量。

与之相比,我觉得签名什么的就像纸张的污渍,不是吗?