村上春树-《村上さんのところ》

翻译 |《村上さんのところ》- 文学的美

2017年3月11日

文学の美しさはモラルでは測れない
文学的美是无法用道德衡量的

質問:

酒や薬物の上で創られる作品をどう思われますか?
数年前にある人が小説を書くというので、興味を持ったのですが、執筆の度に酒を飲んでいると知り、興醒めしました。小説は少し読みましたが、興味が合わずにホッとしました。その出来事が引っかかっています。
酒や薬物の影響下の創作物は分野問わず沢山あります。秀でた表現をして名声のある方もいます。特に音楽の分野には。それで少し混乱しました。
村上さんは、酒や薬物の入った作品について、どう思われますか?

对在酒或药物之上创作的作品是怎么想的?

数年前有个人写了一部小说,虽然对它感兴趣,但是知道在写作的时候饮酒之后,就有点扫兴了。小说稍微读了一点,不过兴趣不符所以放心了。这件事让我担心。

在酒或药物的影响下的创作品无论哪个领域都有很多。表现优秀且名声响亮的也有。尤其是在音乐领域。那个还有点混乱。

村上先生,关于混入了酒或药物的作品,是怎么想的?

回答:

作品が優れているかいないか、それがすべてだと思います。アルコール中毒、薬物中毒のうちに書かれた見事な文芸作品は歴史上、数多くあります。長期的に見ればアルコール中毒、薬物中毒に執筆作業に悪影響を及ぼすだろうと、僕は個人的には考えています(僕自身、アルコールを読んで小説を書くことはまずありません。薬物はいうまでもなく)。しかし作品単位でみれば、話はまた別になります。コールリッジの「クーブラカーン」は彼がアヘンの幻覚で見たものを言葉に換えたものですが、まさに文芸史に残る美しい詩です。僕も大好きな詩です。文学の美しさはモラルでは測れないものです。

僕はレイモンド・カーヴァーやスコット・フィッツジェラルドの作品を愛好し、翻訳していますが、彼らは人生の一生の一時期をアルコール中毒患者として送りました。でもどの作品が酒を飲みながら書いたもので、どれが酒抜きで書かれたものか、僕はわかりませんし、そんなこといちいち考えたこともありません。結局のところ、繰り返すようですが、作品が優れていれば、それがすべてではないのでしょうか?もちろん、だから良い作品を書くためなら何をしてもいいということにはなりません。僕が言いたいのは、残るのは人ではなく、作品だどいうことです。

我觉得作品的优秀与否,决定一切。在酒精中毒,或者药物中毒之下写成的优良的文学作品,在历史上也数量众多。若长期来看,我个人是认为酒精中毒,药物中毒会对写作工作产生不利的影响。(我自己首先没有在喝酒的时候写小说,更不用说药物)。但是以作品单位来看,又是另一回事。虽然Samuel Taylor Coleridge,柯尔律治的《Kubla Khan》是他把见到的鸦片的幻觉转成语言而来的,但确实是文坛史上遗留的美丽的诗。这是我最喜欢的诗。文学的美是无法用道德衡量的。

我喜欢Raymond Carver,雷蒙德·卡佛和F. Scott Fitzgerald,菲茨杰拉德的作品,而且也有翻译,他们的人生曾一度作为酒精中毒患者而活着的。但是哪部作品是边喝酒边写的,哪位是在没喝酒的时候写作的,我不清楚,这种事不会逐件去思考。毕竟,好像又重复了,只要作品是优秀的,这不就是全部了吗?当然,也不是为了要写好的作品就什么事都能做。我想说的是,剩下的不只是人,还有作品。