日文翻译 村上春树-《村上朝日堂》

翻译 《村上朝日堂》-「1984年的村上春树03」

2018年1月22日

日文内容选自「村上朝日堂」

(21)关于对谈
もうひとつ日本人的なのが対談ゲラの赤字入れというやつで、つまり話したことをあとで訂正するわけなのだけど、先にどちらか一人が自分のパートを訂正し、その次にもう一方の人が先方にあわせて自分の台詞を訂正するのである。日本の特産品はトヨタとパナソニックだけではないのだ。

还有一个相当日本人性质的是给对谈样稿校正,也就是说之后要订正说过的话,首先让一个人对自己的部分进行订正,之后再交给另外一个人配合着前面一个人的东西去订正自己的话。
日本的特产还不只是丰田和松下。

(22)关于藏书

とくに物欲・所有欲が強いというわけでもないのに、どうしてそうも荷物ばかり増えるのか?

明明没有很强烈的物欲·所有欲,为何物品净在增多?

(23)关于买书

何が贅沢といって、子供時代つけで本が買えるくらい贅沢なことはないのではないか、と僕は思う。

要说什么是奢侈,我觉得没有比能在儿童时代买书更奢侈的事情了。

(24)关于不看新闻

決して新聞が役に立たないとうわけではなく、世の中には右から左に抜けていくだけの身につかない情報が余りにもあふれすぎてるんじゃないかと思うだけである。

绝对不是说新闻没有用处,而是觉得世间单单从右到左穿过且无法掌握的信息是不是太多了。

(25)关于希腊的国民
これくらい話好きな国民もないじゃないかと思う。
こういうのは頑迷にすぎるといえばそれまでなのだろうけれど、逆にあまりにも簡単にものごとに水を流したり思考様式を十年ごとにちゃらちゃらと変えちゃう国民性というものそれはそれでちょっと問題があるんじゃないかと僕は思う。

我觉得没有比这更喜欢说话的国民了。
要说这是过于顽固也有点对吧,可反过来说,太过于简单地任由事情被水冲刷,思考模式每十年就能不经意间变化的国民性,也稍微有点问题的吧。

26)关于喜欢吃的东西与不喜欢吃的的东西

僕がカキを食べられてハマグリを食べられないことに対して「なぜそうなのか?」と問い詰められても、僕としてはものすごく説明に困るのである。性向を説明することは可能だが、コンセプトを説明するのはほぼ不可能だからだ。
「どうしてああいう奥さんと一緒になったの?」という質問も同じライン上にある難問である。

僕はこういう種類の現実を仮リに<同時存在的正当性>と読んでいるんだけど。
对于我能吃牡蛎却不能吃蛤蜊,即便被问到“为什么呢?”,我也不能很好地说明。要说明事物的倾向是可能的,但要说明概念几乎是不可能的。
“为什么跟那种妻子在一起呢?”这种问题也是在那条线上的难题。我对这种类型的现实也只能临时用“同时存在的正当性”来解读了。

(27)关于年轻人

でも若い人たちの傲慢さや無神経さって、それだけで独立して機能していて、権力に直接結びついていないから、そのぶんだけ若い人たちを相手にしているとホットするのである。僕の世代くらいになると、もういろんな分野で社会的権力をきっちり握りはじめている人たちがいるからね。具体的に言うとカドが立つから言わないけど。

但是说到年轻人的傲慢或者不知轻重,仅仅这些也能独立和发挥作用,因为没有与权力直接连结,仅在这个部分与年轻人们相处能让人松一口气。一旦到了我这个世代,就会有人开始在各个领域牢牢地握住社会权力。具体而言就会得罪人所以不说。
(这个专栏是在一本面向年轻人的杂志上连载的,而这句话是写在后记上的。)