川上未映子 日文翻译

翻译 | 「川上未映子 -「创作」与「光」是相似的」

2019年12月22日


翻译一篇川上未映子的新访谈。略有删减。


私は詩も書くんですが、特に詩が降りてくる瞬間って、すごく光と似ているんですよ。詩は“与えられるもの”であって、人間が作り出す光とは違う。詩はどこからかやってくる光という存在に近いんです。創作と光は、すごく親和性が高いと思います。私は光を見ていたい。だから、サングラスをかけることには、少し躊躇(ちゅうちょ)する時があります。

我也写诗,尤其当诗降临的那个瞬间,真的与光非常相似。诗是”被给予的东西”,不同于人制造而成的光。诗是接近于从某个地方悄然而至的光一样的存在。我觉得创作与光,有着极为强烈的亲和性。我想看到光。所以,对于戴太阳眼镜,还是会有些许犹豫。

私と同じように、多くの芸術家が光を追いかけているのではないかと思います。光は当たり前のように存在していますが、少し角度を変えて見た時に、光の持っている豊かさや考えさせる力など、いろいろなテーマが詰まっているように感じます。

我想很多艺术家都和我一样追寻着光。尽管光是理所当然的存在,然而稍微改变一下看它的角度时,光所持有的丰富性以及使人思考的力量,让人觉得它仿佛充满了许许多多的主题。

「光」と聞いて、私が最初に思ったことは、「恩恵」そのものと言いますか……。光は人間が生きていく上でかけがえのない要素ですが、そういうイマジナリーなものとしても、私たちが生きていく物語に欠かせません。どんなに大きな悲しみやつらさを扱っている物語でも、そこには必ず「光」があり、光と影の関係は切り離せません。

最初听到「光」时,我想到的,可以说是「恩惠」……。光是人活在世上无可替代的要素。即便是想象而成的东西,于我们活着的故事而言也是不可或缺的。不论是处理多么大的悲伤或痛楚的故事,那里都肯定会有光,光与影的关系是不可分离的。

光をどのようにとらえるかに一生を捧げる画家がいたり、光をどのように再現するか試行錯誤している音楽家がいたり……。小説家もまた、それに従事しているのかなと思います。

有为了如何捕捉光而奉献一生的画家,有为了如何再现光而不断试错的音乐家……。我想,小说家亦是如此。


原文请参考:https://www.asahi.com/and_w/20191220/1072556/?cid=JJ_tw