村上春树-《村上さんのところ》

翻译|「《村上さんのところ》- 关于「故事的复权」的思考」

2017年8月9日

「物語の復権」について考える

关于「故事的复权」的思考

質問:

いつも楽しく村上さんの作品を読ませてもらっております。

ところで、小説と物語ってどう違うのでしょう。私は日本文学を専攻しているのですが、さっぱりわかりません。すくなくとも、物語は別の宇宙を創造しているような、広く深い感じがします。

一直以来都快乐地阅读村上先生的作品。

但是,小说与故事是不一样的吧。虽然我专攻日本文学,但是完全不了解。至少,故事像是别的宇宙创造的恢弘深远的感觉。

回答:

小説と物語はべつのものではありません。小説という入れ物の中には、物語という装置が含まれていると考えていただければいいと思います。ただ二十世紀になって長いあいだ、「物語」というものが小説的環境からはじき出されていたーーあるいは下位のポジションに追いやられていたーー時期がありました。そんなものはもう時代遅れだ。それよりは心理描写だろう、言語解体だろう、意識の解析だろう、実験小説だろう、社会主義リアリズムだろう、ポストモダンだろう。。。みたいな。でも近年になってようやく「物語性」の大きな揺り戻し、というか復権がありました。もちろん語そうのままではありません。それを引用しながら、そこに新しいイディオムを積極的に付け加えているわけです。だいたいわかっていただけましたでしょうか?

僕が「物語の復権」という動きを最初に感じたのはジョン・アーヴィングお「カップの世界」でした。それかだテイム・オブライエンの「カチアートを追跡」。それらを読んで「ああ、こんなものもありなんだ」と思いました。そこには新鮮な驚きがありましたもちろんガルシア・マルケスをはじめとする南米系マジック・リアリズムの影響もその背景にはあったわけですが。

小说与故事不是不一样的东西。我觉得可以认为在小说这个容器里面,包含了故事这个装置。只是二十世纪以来的很长一段时间,有过「故事」从小说的环境里被排挤出来——或者说被移至到次要的位置——的时期。那种东西已经落伍了。比之更好的是心理描写吧,言语解体吧,意识的解析吧,实验小说吧,社会主义现实主义吧,后现在主义吧……类似这样的。不过近年以来总算出现了「故事性」的大撼动这样的复权。当然不仅仅只是叙述。而是一边引用,一边在那里积极地添加崭新的惯用语。大概明白了吗?

我最初感觉到「故事的复权」这种动向是约翰•欧文 (John Irving) 的《The World According to Garp》。还有Tim O’Brien的《Going After Cacciato》。读了这些之后就觉得「啊啊,还有这种东西」。在那些作品里存在着的震撼也有以加西亚·马尔克斯为首的南美系魔幻现实主义的影响作为背景的原因。