村上春树-《村上さんのところ》

翻译 | 《村上さんのところ – 女儿与母亲相似是宿命吗?》

2017年5月15日

娘が母親に似るのは宿命でしょうか?
女儿与母亲相似是宿命吗?

質問:

「その女性がどんな妻になるか知りたかったら、彼女の母親を見ろ」

そんな言葉を聞きました。娘は母親に似る、という意味らしいです。

私は母親のようになりたくないです。彼女は仕事と家事と子育てをこなしてきた、すごい人です。感謝と尊敬の念があります。ただ、ヒステリックところ、つっかかる言い方、尋問のようなしゃべり方をするところ、批判と詮索好きで、人を見下すところ、があります。

彼女をそんな風にしたのは私や周りの人かもしれません。彼女も自分を守るためだったんだろうし、申し訳ないです。

それとは別にして、私もそういう性格になるのかな?と思うほがらかになりたくて、意識してきたけど、その意志や積み重ねもムダなのかな?と。

こんなこと考えること自体、呪いです(母にも申し訳ないし、私もはたから見れば既にそんな性格かもしれません。気づいていないだけで)。

できれば村上さんに、「そんなことはない」と言ってほしいです。もっと深刻な相談が来ているでしょうから、答えられないければ、こころの中でそっと眩しいてください。そうして頂ければ、勝手にこちらでくみとります。お願いします。

「要是想知道这位女性会成为怎样的妻子,去看她的母亲吧」

听过这句话。女儿与母亲相似,好像是这种意思。

我不想变成母亲那样的人。她能做好工作,家务和养育孩子,非常棒的人。我对她有感谢和尊敬,但是她有歇斯底里的地方,抬杠般的说话方式,像盘问一样的说话方式,喜欢批评和探索,瞧不起别人的地方。

她可能就是这样对待我和周围的人。抱歉,她或许也在保护自己。

思考这种事情本身,就是诅咒(对母亲感到抱歉,在旁人看或许我也已经是这种性格,只是没注意到而已)。

若可以的话,希望村上先生说「没有这种事」。因为会引来更深刻的咨询,要是不能回答的话,请在内心悄悄地晃眼一下。这样的话,我就擅自采用了。拜托了。

回答:

僕も父親みたいにはなりたくないと思って生きてきましたが、ときどき「こういうところ父親に似てるかもな」と思ってしまうことがあります。これはもうしょうがないことみたいです。小さい頃からそういう因子が、良くも悪くも、無意識に染み込んでしまっていますから、ある程度あきらめるしかありません。

そういう「刷り込み」みたいなのを呪いと考えないで、これからそこに自分で上書きしていくんだとお考えになるといいと思います。そうしようと書きできます。そうしようと思えば、いくらでもしっかり書きできます。あなたはまだ若いし、先の人生は長いんだから。ばんばってください。

虽然我也是不想变成父亲那样的人而活着的,但是偶尔也有觉得「这种地方就是与父亲相似」的时候。这种事好像已经没有办法的。从小开始这种因子,好的也好坏的也好,因为已经无意识地铭刻于心,只能某种程度上放弃。

不要想着这种类似「铭记」的东西是诅咒,我觉得转为思考在此之上自己能重写是挺好的。这样做就能重写。要能这样想着,无论多少都能认真地重写。你还年轻,前面的人生还很长。加油吧。