村上春树-《村上さんのところ》

翻译 |《村上さんのところ》- 为传达事实而存在的必要的谎言

2017年4月15日

語り継がれる「物語」と小説家の「物語」
流传下来的「故事」与小说家的「故事」

質問:

小説家が、個人として作る小説としての「物語」と、神話や民話、伝説などのように人々によって長い年月語り継がれる(ときに変化し)「物語」には、どのような重要な違いがあると考えますか?
また、本来なら後者の「物語」にしか持ちえない性質を、ご自身の小説にとりいれようとすることは、村上さんにとって大切なことですか?
「雑文集」の「小説を書くということ」の章がとてもすきなのですが、このふたつの種類の「物語」の違いについて村上さんはどう考えていらっしゃるのか気になっていました。
P.S
質問と関係のないことですが、無事にニューヨークにつききました。相変わらずドーナツを食べています。しあわせです。今日の村上さんにもドーナツひとつぶんの幸せがありますように。

小说家,作为个人创作的小说而成的「故事」与,经由神话或民话,传说而人人长年累月流传下来(时代上有变化)「故事」,有什么重要的不同?

还有,原本只有后者的「故事」才拥有的性质,要引用在自己的小说里,对村上先生来说是重要的事情吗?

虽然很喜欢「杂文集」里关于「写小说」的文章,不过挺在意村上先生是如何考虑这两种「故事」的差异的。

P.S

虽然是与提问无关,不过我安全抵达纽约了。一如既往地吃甜甜圈。很幸福。也祝愿村上先生有一个甜甜圈的幸福。

回答:

エリア・カザンに「ブルックリン横丁A Tree Grows in Brooklynという古い映画があります。主人公の12歳くらいの女の子が、学校の先生に物語について教わるとことがあります。先生は彼女に言います。「真実を伝えるために必要な嘘があります。それは嘘ではなく、物語と呼ばれます。」細かい台詞は忘れたけど、確かそんなだったと思います。その女の子はそれを聞いて、「私は作家になろう」と決心します。僕がとてもすきなシーンです。

古代においては、神話的物語は生活に密着したアクチュアルなものとしてありました。人々の上部意識と下部意識は当時、まだはっきりと分別されてはいませんでした。しかし現代ではそれはおおむね「神話性」と「物語性」という二つのかたちに分割されてしまっています。

でも我々はまだ、努力すれば地下に降りていって、「神話性」と「物語性」がひとつに溶け合っている世界に足を踏み入れることができます。そしてその世界の有り様を小説というかたちに転換としていくことができます。

小説家といわれる人はそのようにして「真実を伝えるために必要な嘘」をリアルに立ち上げていくことができるのです。

有一部伊利亚·卡赞(Elia Kazan)的《布鲁克林有棵树》(A Tree Grows in Brooklyn)古老电影。主人公为12岁左右的女孩,在向学校的老师学习关于故事的课程。老师向她说「为传达事实而存在的必要的谎言。那不是谎言,那是故事。」虽然忘记了细致的台词,不过觉得确实是那样。那位女孩听到这句话后,下定决心「我要成为作家」。这是我非常喜爱的场景。

在古代,神话故事是紧贴着生活而作为真实存在的。人们的上层意识与下层意识在当时,还没有明确地被分别开。但是现代的话大概早已分割成「神話性」与「故事性」这两种形式。

但是我们仍然,如果努力的话,就能下到地下,踏入融合「神話性」与「故事性」的世界里。然后就能把那个世界的样子转换成小说的形式。

被称为小说家的人就能那样做「为传达事实而存在的必要的谎言」从而启动真实性。