村上春树-《村上さんのところ》

翻译 |《村上さんのところ》- 不强加自己的意见

2017年3月2日

如果自己在从事一些与创作相关的事情,就会感到每个创作,无论大小,无论形式,都是不容易的,也是创作者与作品之间的私密连接。好与不好,很大程度只是他者的眼光;

如果心胸足够宽广,如果肚量足够大气,就能容纳世间万物的各种千奇百怪的状态。有时候不喜欢,不一定是作品的不好,而可能是自己的见识未能与作品搭上勾。


自分の意見は押しつけない
不强加自己的意见

注:「厚木からの長い道のり」是村上春树的一篇随笔的名称,暂没想到怎么翻译。

質問:

僕は普段ジャズを好きで聞いています。「厚木からの長い道のり」には感動と同時に考えさせられもしました。以前、ジャズ喫茶でリクエストノートに載っていた大西さんのライブ盤をリクエストしたところ、マスターから彼女のものはかけない。
あんな芋は聴くな。少しは俺の著作を読んでくれよみたいなことをいわれました。僕はその言葉に失望し、それ以来、その店には行かなくなりました。因みに店のマスターはジャズ本の監修などをする、有名なジャズ評論家なのです。
作品を創造する過程では他者の影響や試行錯誤、時には失敗作も含め、長い目で、時には温かく見守ることも大事だと思うのですが、歴史上の名演や演奏家と比較し、手厳しく罵倒したのでは未来あるミュージシャンもたまったものではない。もう少し表現者の苦労を尊重するべきではないだろうか。村上さんも心無い批評にたびたびあってきたと思いますが、これからも頑張ってください。

我平常喜欢听爵士。感动于「厚木からの長い道のり」的同时也让我思考。以前,在爵士喫茶店里的点播本子上点播大西的演唱会盘时,老板说不播她的盘。

那种土里土气的音乐不会听。还说多少去读一些我写的作品吧之类的话。我对这种话感到失望,从那之后,再也没有去过那家店。顺便说一下,店的老板主编爵士书之类的,是有名的爵士评论家。

在作品的创作过程里他人的影响或者试行错误,有时候还包含失败的作品,长远来看,我觉得有时候温柔地守护也是非常重要的,与历史上有名的演出或者演奏家相比,严厉地痛骂并不是在守护未来的某个音乐家。不是应该稍微尊重表演者的苦劳的吗。我觉得村上先生也经常受到无情的批评,今后还请加油。

回答:

小さな店の主人というのは、それぞれの見識があり意見があり、それを生きがいにして生きている人が多いようです。うまく意見があえば優れたメンターになれますし、そうじゃない場合はただの安っぽい独裁者みたいになります。僕も音楽については好き嫌いがそれなりに激しい人間ですが、できるだけ人にはその意見を押しつけないようにしてきました。ただ「自分が好きじゃないものを好きとは言えない」という態度を貫いてきただけです。それほど好きになれない演奏に対しても、「あんなやつはイモだ」とか「あんな音楽はクズだ」とかいったことは一度もありません。嫌いなものを嫌いだと大声で公言するよりは、好きなものをじっくり賞賛する方が、お互いなにかと気持ちよいものですよね。

对于小店的主人来说,有各种各样的见识或者意见,是很多人把这作为人生的意义而活着的。如果有很好的意见就成为优秀的导师,如果不是的话就只会变成像卑俗的独裁者一样。虽然关于音乐我也是喜好相应强烈的人,但也尽可能不向别人强加自己的意见。只是贯彻「自己不喜欢的东西就不能说喜欢」这种态度。即便是对没那么喜欢的演奏,也一次都没说过「那种真是土气啊」或者「那种音乐真浪费」。与其大声地声明讨厌令人厌恶的东西,不如踏踏实实地赞赏喜欢的东西,这是让彼此都心情畅快的事情。