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文 |「谷崎润一郎评大阪方言」

2020年4月14日

谷崎润一郎在移居关西以后,有好几部作品都是用大阪方言写的,譬如『卍』。在『卍』这部小说的末尾有一篇解说,里面有引用了谷崎润一郎本人对大阪方言的评价。在此记录一下,从中能看到作者对大阪方言的无限偏爱。


「……私は全体から云うと、東京人よりも大阪人の声を美しく感ずる。公平に見て、男は五分五分だとしても、女に関する限り、大阪の方に軍配に上げる……私は劇場で俳優のセリフを聴く時以外に日本語の発音の美しさなどに注意したことはなかったのだが、大阪へ来て日常婦人の話し声を耳にするようになってから、初めてそれをしみじみと感じた。京女の言葉づかいが優しいことは昔から知られているが、京都よりも大阪の方が一層いい。。。私に言わせると、女の声の一番美しいは大阪から播州あたりまでのようである。

「東西の婦人の声の相違は、三味線の音色に例を取るのが一番いい。私は長唄の三味線のような冴えた音色の楽器が東京において発達したのは誠に偶然でないと思う。東京の女の声は、良くも悪くも、あの長唄の三味線の音色であり、又実にあれとよく調和する。キレイといえばキレイだけれども、幅がなく、厚みがなく、円みがなく、そして何よりも粘りがない。だから会話も、明瞭で、文法的に正確であるが、余情がなく、含蓄がない。大阪の方は、浄瑠璃乃至は地唄の三味線のようで、どんなに調子が甲高くなっても、その声の裏に必ず潤いがあり、つやがあり、あたたか味がある。西洋の楽器にたとえれば、東京はマンドリで、——ひどいのは大正琴で——大阪はギタアである。座談の相手には東京の女が面白く、寝物語には大阪の女が情がある、と云うのが私の持論であるが、つまり性的興味を離れて、男に対するような気持ちで舌戦を闘する時は、東京の女は大胆で、露骨で、皮肉や揚げ足取りを無遠慮に云うから張合いがあるけれども、「女」として見る時は大阪の方が色気があり、魅惑的である。つまり私には、東京の女は女の感じがしないのである……例えば、猥談などをしても、上方の女がそれを品よくほのめかして云う術を知っている。東京ごだどうしても露骨になるので、良家の奥さんなどめったにそんなことを口にしないが、此方では必ずしもそうでない。しろうとの人でも品を落さずに上手に持って回る。それがしろうとだけに聞いていて変に色気がある」(私の見た大阪及び大阪人)」


从他的描述中能看到,他侧重于强调“声音”,亦即听起来的感觉。「私は全体から云うと、東京人よりも大阪人の声を美しく感ずる。/ 从总体上说,我觉得大阪人的声音比东京人美多了。」尽管大阪方言和标准语在用法上有很大的不同,然而,谷崎润一郎还是对“声”这个方面尤为敏感。看他的比喻,也多是用乐器来比较——东京女人的声音,好比是长歌的三味线的音色;而大阪的女人的声音,则好比净琉璃乃至京呗的三味线的音色。


顺便记录一些大阪方言的用法。


  • 御宅い:「い」意为「へ」。这个用法是最多的,很多本应该用「へ」的都变成用「い」。
  • やかい:「なんか」。
  • しょうない:「つまらない」。
  • ちゅう:「と言う」。
  • けったいな:「妙な」、「変な」。
  • さして:「加えて」。
  • すっくり:「すっかり」。
  • しょうむない:「つまらない」。
  • スコイ:「ずるい」。
  • いとはん:「お嬢さん」。
  • いつぞ:「いつか」。
  • いっそ:「本当に」、「全く」。
  • あほらしいもない:「あほらしい」。
  • たんと:「沢山」。
  • あいさに:「時々」。
  • ややこしい:「複雑な」、「得体の知れない」。
  • ちょっきり:「きっちり」。
  • エゲツない:「ひどい」、「露骨な」。
  • せえだい:「一生懸命」。
  • てんご:「いたずら」、「冗談」。
  • 仰山:「たくさん」。
  • こんなり:「このまま」。
  • あっちゃこっちゃ:「反対に」、「あべこべに」。